2週間間が開いてしまった。年内に全部が終わるといいね!
今回のOPは初代「ジャングル大帝」でいこうと思う・・・・
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メタってからミュエルツアーに参加できるようになった。
初参加でいきなりR原が出た。このツアーも長い間続いたが、ドミが導入されてからはギルド単位で狩れる様になっていく。
当時はド貧乏だったので、メタ↑なのに黒装備をしていた。
というか結構、ユニクロ装備はいっぱい持ってたので七変化を繰り返してたね。
2005年12月11日、ギルド初の外城主。
このとき何枚もSS撮っているが、「記念に一言」がまったくまとまりなし。
当時からまとまりの無いのは相変わらずだったようです。
メタになって一番の変化はコセンに常時参戦するようになったことだ。
当時は勇者仕様(人によって勇者バグと呼ぶが)で即死は免れる、
アレのお陰で自分もそこそこ立ち回ることができた。
まあ、ブル受難な時期だっただろうが、自分は利用に値するものだった。
ただ、これに甘えてレベル上げを怠ったという現実もあった。
この仕様がなくなったときにトバッチリは悲惨なものだった。
さらに大晦日は南城主でおわる。
これ以後も、何度か城主で年越しがあったような。
うーむ懐かしいメンバーだ。ソウル狩りのあとだろう。
Gサンタに投げキッスするカゲトラ。
晩年とは比較にならないまだまだ「子供」の姿だ。
年末から年始に掛けて「風にそよぐ・・・・(ギルド名正確に覚えてない)」のメンバーが
合流してさらに人数が増えた。
このころから、みんなハイテンションなチャットも増えてきた感じ。
ちょっとコセン絡みで度が過ぎることも起きて、ストレスを感じることが増えるようにあった。
ただ言えるのは、当時の城主ギルドMとは個人的に仲の良いギルメンはいただけである。
勘違いされていたのが残念。
その中で、自分の乖離としての「仕事」を見つけたのもこの時期。
後年まで相当ウザったがれた「麻痺」「リターン」攻撃である。
某ファンサイトで本家のデュラントを狩ってるSSで、なぜ赤剣持った乖離がいるんだ?という話題になった。
そんで、非速の武器だとスクがかかるのも早いという回答が寄せられてるのをみたわけです。
そこから、ピコハンなどの非速武器を使ってスクを放つという技を編み出したのでした。
周りからは「まっひーズ」と呼ばれていた。
そんなコセンのストレスを解消してくれたのが、「mixi連合軍」であった。
今でこそ、日本のSNSといえば「mixi」の名が挙がるが
当時は知らん人も多くて、ウチラに対する批判も多かったなw
mixiのエタカコミュニティの管理人だった「星屑の精霊」が発起人となって
オリオンに作られたのがこの連合軍。
写ってるのはごく僅かなメンツだが、何度も城主を取ったツワモノ揃いだった。
この連合がきっかけで、オフ会にも参加している。
自分の「専任」整体師がいるのも、この連合からスタートしたのだよと。
プリ助教授を追っかけるオリオン。
メビも始まった。
デコセンで敵陣に突っ込んでいくテキサス男。
こいつ誰ですか?
2006W杯の時期に登場したなんかのキャラ(名前忘れた)
乖離とカゲのFD兄弟狩りが盛んだったのもこの時期。
まだ頼りないカゲを200までこれだけで上げました。
最大のドロップが☆杖。確か4000万で売れたはず。
実は、この直後くらいに「幸運」が導入されたため、これがもうちょっと遅かったら
まったく売る価値も無かったのであった。まさに「幸運」でした。
一見、充実そうに見えるエタカライフもコセンでの諸事情に嫌気が刺して
「mixi連合軍」や「豆腐屋」に移った。
これは敵方の自然消滅で幕を閉じることになり、その前後でギルドに復帰している。
しかし、2006年末に起きた、とある方のとある出来事に対する他のエタカプレイヤー達に愛想が尽きて
吐き捨てるようにエタカを離れた(詳細&真相は書きません)。
エタカを離れてまもなく、「もうひとりの自分」がどこかへと向かっていた。
次回はエタカを離れてた時期のお話。
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今日のEDは2005~2006年当時、ハマってた映画「あらしのよるに」のラストシーン
懐かしいね!7回映画館に観に行ってしまった。
このラストシーン今でも好き。
続きまだですか?(´・_・`)
おお!ここを見てる人がいるとは・・・
近日更新予定(あくまで予定)